分かりやすい二十四節気と旧暦の考え方

現代の私たちのカレンダーは新暦(グレゴリオ暦)に基づいています。

グレゴリオ暦では地球からみた太陽の位置をもとに日付が決められているため、日付けが同じであれば、年にかかわらず太陽は同じ位置にみえることになります(公転周期が365で割り切れないので実際には1日ずれる)。

現代のグレゴリオ暦に対し、明治以前のカレンダー(旧暦)は月の満ち欠けで決められていました。

旧暦新では新月(朔:月が見えない日)の日が一日、十五日は十五夜で満月、月の最後は晦日(みそか)と決まっていました

月の満ち欠けで決まる太陰暦

月の満ち欠けで日付が決まる暦法を太陰暦と呼びます。

一日は新月、15日は満月と決まっているので、カレンダーがなくても空を見上げれば日付がわかりました。

夜に月を見上げれば大体の日付が分かる太陰暦は非常に分かりやすいのですが、いくつか問題があります。

月の満ち欠けの調整

月は新月から次の新月までが29.530589日の周期であるため、一月を29日と30日を交互に入れれば月の満ち欠けは調整できます。

交互に入れ替えると12ヶ月で354になりますね。しかし月の周期は1年を12ヶ月で計算すると、29.530589日×12 = 354.36707日となり、0.36707日分が余ってしまいます。

3年だと1日以上のずれが生じるため、3年に一度は1日多い日を作って調整する必要があります。

太陽の見かけの位置からずれる=調整するための閏月が必要に

農作業や漁業などの周期は季節によって決まります。

そして季節は月の位置ではなく、太陽の位置によって決まります。

月を基準にして12ヶ月を数えると 354.36707日。
一方、地球の太陽に対する公転周期は 365.242189日。

1年にして11日ほどのずれが生じることになります。

立春を基準に考えてみましょう。

前年の立春が2月3日だったとすると、今年は11日遅い2月14日が立春の日になります。さらに翌年の立春は2月25日となってしまう。

そのままにしておくと季節と日付がどんどんずれていくため、3年に一度、一月多くすることで、季節とカレンダーの乖離を調整していました。

調整のために一月を足したため、1年が13ヶ月の年が生じることになりました。これが閏月です。

閏月は閏月となる前の月の名前を入れて、「閏四月」などと呼んでいました。

閏月は、24節気の中気が含まれるべき月から外れた時に挿入されていました。

月名一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月
節気立春啓蟄清明立夏芒種小暑立秋白露寒露立冬大雪小寒
中気雨水春分穀雨小満夏至大暑処暑秋分霜降小雪冬至大寒

たとえば5月に割り当てられている夏至が6月にずれ込んでしまう場合、4月の次にくるのは5月ではなく、閏4月を挿入していました。

閏4月で調整されることで、翌月の5月に夏至が含まれることになります。

 

二十四節気と「月」の関係

太陽の動きを基準にカレンダーの日付が決まる暦法を太陽暦と言います。
太陽暦は現代のほとんどの国と地域で用いられています。

農業では種まきや収穫の時期を、漁業では魚の到来を予想するために、太陽の動きによって生じる季節を知る必要があります。そのため太陽の動きに基づく暦が必要となります。こうした生活上の必要により、天文学は何千年も前から研究されていました。

かつての日本では太陰暦が用いられていましたが、それと並行する形で太陽の動きをもとにした24節気が用いられていました。

24節気は太陽暦、日付は月の動きを基準とした太陰暦。
太陽暦と太陰暦の折衷のため、太陽太陰暦と呼ばれています。

24節季-wikipediaより

24節気は文字通り1年を24等分して季節を定めた太陽暦です。

太陽の位置を観測して定められる24節気は現代と変わらず、冬至と夏至、春分と秋分で4等分できます。

さらにそれぞれの中間に立春・立夏・立秋・立冬が位置します。

季節は立春から立夏までが春、立夏から立秋までが夏、立秋から立冬までが秋、立冬から立春までが冬となります。

冬至と春分の間にある立春は日も短く、寒い時期に決まっています。「暦の上では立春ですが、まだまだ寒い日が続きそうです」というのは当たり前のことですね。

立春から立夏までは春に分類されますが、冬至と春分の中間に当たり、暖かい季節に向かう途上なので、寒い日が続くのは当然と言えます。

中気が含まれるべき月を定めて閏月を調整

24節気は12の節気と12の中気で構成されています。

節気と中気はおおむね15日ごとに交互にやってきますが、月の動きに基づく太陰暦では1年で約11日季節がずれてしまいます。

季節と日付の調整のために3年に一度は閏月を挟まなければいけない。閏月を入れるタイミングは中気が決められた月に含まれるかによって計っていました。

中気が属する月を決めておき、属すべき月に中気が入らなくなったところで閏月が挿入されていました。
こうして月と季節のずれは30日以内に抑えられていました。

月名一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月
節気立春啓蟄清明立夏芒種小暑立秋白露寒露立冬大雪小寒
中気雨水春分穀雨小満夏至大暑処暑秋分霜降小雪冬至大寒

 

立春=新年≒元旦

旧暦では立春が年の始まりとされていました。

しかし1月1日の元旦は、かならずしも立春ではありませんでした。

その理由は、月の満ち欠けで定められる日付と、太陽の動きから求められる24節気は一致しないことが多いためです。

  • 日付は太陰暦=月の満ち欠けで、新月が一日
  • 立春は太陽の季節をもとにしており、冬至と春分の中間点に位置する

季節と日付がずれているため、立春=元旦とは限らなかったのです。

年内立春と新年立春

先にも触れたように中気の属する月が決められていて、中気がその月から外れてしまった時に閏月を挿入して季節のずれを調整していました。

中気は1日に来ることもあれば、逆に29日になることもありえます。

旧暦の1月を考えると、1月の中気である雨水が13日だったとします。
すると立春は(おおむね)12月30日となります。

元旦よりも先に立春を迎える。

これが 年内立春 です。

逆に雨水が18日だったなら、立春は(おおむね)3日になります。

元旦よりも後に立春を迎える。

これが 新年立春 です。

元旦である1月1日と立春が一致するのは 立春正月 で、縁起がいいとされています。

日付と24節気はつねにズレ続けるため、立春正月はめずらしく、だいたい年内か新年立春となります。

 

年中行事と24節気がずれる理由

年中行事の桃の節句は3月3日ですが、桃の花が開くのは半月以上後の3月下旬。9月9日の重陽の節句も同様で、菊の花の咲く季節よりも一月ほど早い時期に行われます。

旧暦の行事を新暦にそのまま持ち込んだためにこういうズレが生じることになりました。

下の雹の24節気と旧暦の月の関係をみると、新暦とはおおむね一月ズレていることが分かります。

月名一月二月三月四月五月六月七月八月九月十月十一月十二月
節気立春啓蟄清明立夏芒種小暑立秋白露寒露立冬大雪小寒
中気雨水春分穀雨小満夏至大暑処暑秋分霜降小雪冬至大寒

現代の立春と言えば2月3日か4日です。
一方旧暦では立春は1月に属しています(旧暦の立春は年内立春として12月中に来ることもある)。

旧暦の3月3日のひな祭り(桃の節句)は、春分の後に行われていました。

春分の後は今で言えば3月下旬。まさに桜と桃の季節ですね。重陽の節句も同様に秋分の後に行われていたので、季節的にぴったりだったのです。

 

年中行事は月遅れのほうが合うかもしれない

七夕

七夕や雛祭りといった伝統行事は、月遅れで行われる地域があります。月遅れの方が新暦よりも、もともとの暦に近いため、季節と日付のずれが抑えられることになります。

たとえば七夕は新暦では梅雨の時期にあたりますが、旧暦では立秋の前(後のことも)。立秋の頃は台風が来ることはありますが、梅雨よりは晴れている可能性は高いでしょう。

桃の節句も、桃の季節に行われることになる。昔の行事は月遅れの方が合理的かもしれませんね。

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